画家エドゥアール・マネに学ぶ!あなたも革命家になれる6つの方法〜これまでの時代を終わらせ、新たな時代の幕を開ける!〜

最近、11時間半拘束の肉体労働をしています。くたくたになるまで体を動かすって気持ちが良いです。思考も自然と静かになりますし。充実感があります。

[voice icon=”https://fujitamasayuki.net/wp-content/uploads/2017/01/masayuki2017.png” name=”まさゆき” type=”l”]こんにちは、絵画と作曲の同じところと違うところを研究している藤田です^^[/voice]

今回の記事では、ぼくが芸術に取り組む上でそのスタンスを尊敬してる画家、エドゥアール・マネについて書いています。

こちらも合わせてご覧ください。

目次:好きなところから読む

画家エドゥアール・マネ(1832ー1883)とは?

エドゥアール・マネの肖像写真 wikipediaより

エドゥアール・マネは、西暦1832年から1883年を生きた画家です。

それまでの時代を終わらせて、新しい時代の絵画を切り開いた画家、とも言われています。

つまり、絵画の世界で革命を起こした人物だったわけですね。

印象派の画家と呼ばれていますが、近代絵画史の著者の研究によると、当時エドゥアール・マネは昨今で有名な「印象派の画家」とは距離があったようなのです。

むしろ、彼は「古典的な」「伝統を重んじる」「革命は好きではない」画家でした。

「革命家」というと、それまでのものを一切否定し、新しいことを始めようとする印象が強かったのですが、エドゥアール・マネに出会って、そうした「革命家」の印象が変わりました。

画家エドゥアール・マネに学ぶ!あなたも革命家になれる6つの方法 〜これまでの時代を終わらせ、新たな時代の幕を開ける!〜

マネの態度は絵画を学ぶ者、画家になりたい人間として参考になるところがたくさんあります。

それまでの時代の技法・作風を真摯に研究し、自分の血肉にする

純粋に好きです、マネの生き方、マネのスタンス。

  • 「とにかく、それまでの時代の技法などを、研究しまくった」という点。
  • 「革命家になろう、革命を起こそうなんて思ってなかったけど、結果的に、革命家になってしまった」という点。

これまでの時代に幕を下ろし、新たな時代の幕を開ける革命家になれる唯一の方法は、それまで出ている表現方法、手法を、研究しまくることです。

それを本当に徹底的にやったら、革命家になろうなんてしなくても、革命家になってしまうことってあり得ます。

なので、好きな分野のこと、やると決めたこと、ぼくと一緒に徹底的に研究してみませんか?

マネについて知れば知るほど、「好きな分野で活躍することを諦めるのはまだはやい」と思わずにはいられません。理由は、マネくらい研究してるかな?と自分に問いたらおのずと答えは出ます。

マイペースで構わない

エドゥアール・マネは、自分のやるべきこと、できることをただ真摯にやっただけです。周りに惑わされなかった、マイペースだったと言えます。

信念やスタンスを貫く

マネは、のちに印象派と呼ばれる有名な画家たちからサロンではないところで作品を発表するように言われても「サロンこそ世間に問いかける場」と言って誘いを断り続けました。

誰に何を言われても自身の信念やスタンスを貫く決意と勇気が人生には必要な時があります。

周りがやっていることをよく観察し、取り入れられるところは柔軟に取り入れる

周りがお祭り騒ぎをしている時に、そこに参加しなくても問題ありません。マイペースで構いません。

でも、マネはきっと、その人たちが「どんなことをしていたのか」については、非常に敏感に感じていたのではないか、ということが見えてきます。

そして、それらの良いところも自分なりに吸収していきました。

冒険心や好奇心を持ち続ける

冒険心とは、「今あるものよりもどうしたらもっと面白いものができるだろう?」と探し続けたり、研究し続ける態度です。

「こうしたら面白いんじゃないかな」「ああしたら面白いんじゃないかな」「これをこうしたらどうなっちゃうんだろう」という好奇心です。

そして、エドゥアール・マネの好きなところは、最初に既存のものへの否定から入るのではなく、「伝統をしっかりと習得する」という肯定から入ったところです。

バランス感覚を磨く

マネのバランス感覚は大いに学べるところがあります。

信念やスタンスを貫きつつ、周囲の画家のいいところは柔軟に取り入れていくには、バランス感覚が必要です。

バランス感覚の秘訣は、

  1. 「最終的な決定権は自分にある」「他の誰も自分の人生の責任はとってくれない」
  2. 静かにして気づいている
  3. 確かな集中力の継続

というところにあります。

そこにしっかりと覚悟を決めていきましょう。

画家エドゥアール・マネは具体的にどんな革命を成し遂げた人?

マネは紛れもなく、これまでの時代の幕を下ろし、新たな時代の幕を開けた革命家であるわけなんですが、その表現だと抽象的すぎます。

では、具体的にどのようにすごかったのか、どのようなことが絵画史において革命的だったのか、ということをお話しします。

  1. 新たな詩の世界の確立と技術的な革命
  2. 絵画界の炎上商法の創始者!?罵倒とスキャンダルによって有名になった初めての人
  3. エドゥアール・マネの作品は当時の絵画界の建前、理想主義的側面をぶった切った

新たな詩の世界の確立と技術的な革命

陰影のつけ方、背景、空間、鏡などのモチーフの捉え方がそれまでとは全く異なっていました。

それまでの伝統で「よし」とされていたものを、マネは、どんどん破壊していきました。

しかし、マネを知れば知るほど感じるのは、これは「既存のものを破壊したかった」のではなく、マネは「絵画において新たな詩の世界を構築したかった」ということなのです。

これが一番すごいところで、2番目3番目はそれに伴って結果的に誘発されたものにすぎません。

わりと2番目3番目の方がわかりやすいので、注目されがちです。

どんな技術が革命的だったのか、代表作品のところで詳しく説明しています。

絵画界の炎上商法の創始者!?罵倒とスキャンダルによって有名になった初めての人

罵倒とスキャンダルはニュースに取り上げられるので有名になりやすいというメリットがあります。広まった中にも一定数、本人への支持者や擁護者が現れるものです。

マネの知られ方もそれに近いものがありました。

つまり、炎上商法のような広がり方をしたということになります。

現在ではよくありがちですが、当時は画家への悪口はあったにしても、エドゥアール・マネほど当時の批評家たちに罵倒されたり、スキャンダル扱いになった画家はいなかったと伝わっています。

それほど官学派からの人間には嫌われました。

エドゥアール・マネの作品は当時の絵画界の建前、理想主義的側面をぶった切った

マネよりも前の絵画には、暗黙の了解と言いますか、建前があったことが見えてきます。

それは「絵画として描かれるモチーフは美しくなくてはならない」というものです。

他には、現実的な側面を見せられるよりも、理想的なものを見て「ああ、いい絵だ」「これは美しい」と言われるような、天上を仰ぐような絵画ですね。

それはいわば、絵画界の建前と理想主義的側面と言えます。

そういう成り立ちもわからなくはないですし、ここには大きく3つの側面と観点があります。

マネよりも前の絵画の成り立ち、1つ目の側面と観点 〜大衆の生活から〜

戦争が盛んな時代に、絵画を見ている時だけでも現実のことを忘れたい。理想的な神の世界を見たい。法の成り立ちにキリスト教が関わっていますから。生活感のあるものは見たくない。現実を見渡せば負の側面がゴロゴロと転がっている世の中にいて、絵画の中にまでもそれを入れたくない。

絵画を見ている間だけは、、、音楽を聴いている間だけは、、、という逃避のような役割ですね。

というような大衆心理が芸術の分野を理想主義的なものにしたのではないかというのが1つ目の観点。

マネよりも前の絵画の成り立ち、2つ目の側面と観点 〜政治から〜

2つ目の側面は、上記の心理を政治的に利用した形に応用できます。

戦争が盛んな時代。絵画の中で描かれているような理想的な世界のために!という主張を民衆に見せるための絵画。理想的な神の世界、王族は素晴らしいんだぜという世界を見せる。生活感があり負がゴロゴロと転がっている今の生活を見るのではなく、理想的なこの絵画のような世界をみて求めよ!そのためにいざ邁進!戦争肯定!万歳!

[aside type=”normal”]この時代はまさにナポレオンの時代です。

そして、エドゥアール・マネが起こしたスキャンダルは後々ナポレオンの耳にも届くことになるのです。[/aside]

マネよりも前の絵画の成り立ち 3つ目の側面と観点 〜キリスト教の”視点”から〜

キリスト教の視点は、常に「上」を見ています。このキリストをみてもらえたら分かりますが、常に上です。神の子として、神を見ています。

つまり、一般的な価値観の中にも「上」を見ることが普通であり、絵画も常に「理想」という「上」を見ることが当時一般的だった、という観点です。

「上をみたところに理想の世界が表現されている=芸術」といった観点が成り立ちます。

暗くて怖い絵画でも、「上をみたところに理想の世界の悪が表現されている=芸術」でした。

しかし、マネの絵は、見事に当時のそんな一般常識をぶった切っていきます。

アプサントを飲む男 1858−1859

これはエドゥアール・マネの初期の代表作品「アプサントを飲む男」です。

アプサントは1900年の初めの頃に禁止されたお酒です。ニガヨモギの根から抽出します。安価で簡単に買えることから多数の中毒者と犯罪者を出したことで禁止されました。ツジョンという香味成分により幻覚と向精神作用を引き起こすという理由でも禁止されましたが、現在ではその理由は疑われています。

画家として有名なゴッホもこのお酒によって、身を滅ぼすことになりました。

マネが当時の社会的な問題を意図的に取り上げたのかどうかはわかりませんが、「マネよりも前の成り立ち」の観点から見ると、アプサントを飲む男をモチーフとして取り上げることはその当時の常識を大きく逸脱しています。

  • モチーフから生活臭がする
  • 「理想の世界」「美しいもの」が描かれているものではない
  • 「アプサント」「路上生活者」という一般社会の「負」を持ち出した

という点ですね。

そして、アプサントを飲む男から4〜5年後、マネが発表する作品がさらなる物議を醸し出します。

画家エドゥアール・マネの絵画代表作品 〜「草上の昼食」と「オランピア」〜

草上の昼食 1863年

歴史に名を残したスキャンダラスな問題作1作目「草上の昼食」。

オランピア 1865年

歴史に名を残したスキャンダラスな問題作2作目「オランピア」。

「これらの絵画の何が当時問題になったのか」というと、

  1. 風俗嬢の問題:草上の昼食の場合「真ん中の正装の男性の横に裸の女性」オランピアの場合「モチーフが娼婦」
  2. 造形表現的な問題(1):女性に十分な肉付けがされていない
  3. 造形表現的な問題(2):立体感がなく、平面的である

という3点を取り上げることができます。

(1)真ん中の正装の男性の横に裸の女性がいる

現代人のぼくらの感覚からすると、「絵画なので、なんでもあり」みたいな感覚で捉えるかもしれません。この時代の絵画でも、ファンタジーみたいな世界観の絵画はたくさん存在しましたし。

しかし、もし仮に現実的に捉えた場合、驚きます。

[aside type=”normal”]こういう時は、順序立てて説明を試みてみると分かりやすいです^^[/aside]

想像してみてください。

  1. ピクニックに行ってランチをしました。
  2. ちょっと雰囲気を楽しもうと正装で食べることにしました。
  3. 女性も一緒にランチしました。
  4. その女性は裸でした。

3番目から4番目が飛躍しすぎです!!!この飛躍のしすぎが「不自然さ」ですね。

正装で食べることにも疑問を感じる人はいるかもしれません。

しかし、それはまだアリです。「まあ、そんな気分の時もあるよね」って思えるものです。

女性とランチをすることも不思議はないでしょう。男性だって女性だって一緒にランチをすることだってありますから。

でも、3番から4番はどうでしょうか。

唖然。

「正装の男」と「裸の女」ってなにかのプレイ!?風俗的にだめだろがー!という批判になります。

絵画史に見ても、こうしたあまりにも不自然な表現はこれまでなかったので、驚きと戸惑いを与えました。

ジョルジョーネ 1508ー1510年

この絵画のように、ヴィーナスが裸だったりしたことは多々ありますが、「神話」という雰囲気があって成り立つものです。「神話だからなんでもありだぜー」というノリがあったともいえるでしょう。

マネの「草上の昼食」に見る特徴は一線を画しています。

ヴィーナスのような絵を見ていると「女性は女神だ」のような女性を神秘的な存在として見たくなる現代高校生男子のような視点になってくる、のはぼくだけかもしれませんが、娼婦をモチーフにすることで女性に対する幻想が壊れます。

キザな詩人風の貴族が女性を口説くときに、絵を見ながら「あー、あなたはヴィーナスのように美しい。あなたこそが私の女神だ」と言いながら膝をついて手の甲にキスすることができなくなってしまいます。

おそらく、「娼婦みたいだ」と言われて嬉しい女性は誰もいません。

(2)造形表現的な問題:女性に十分な肉付けがされていない

ぼくたちの時代から見れば、マネの絵に見る程度の肉付けなんて普通ですし、むしろぽっちゃりしてるくらいです。

でも、マネよりも前の絵画はそうではありませんでした。

ベルナルディーノ・ルイーニ「ヴィーナス」1530年

ピーテル・パウル・ルーベンス「ヴィーナス、キューピット、バッカスとケレス」1612ー1613年

サバスティアーノ・リッチ「ヴィーナスとサテュロス」1716−1720年

なんていうか、そう、もりもりしています。

[voice icon=”https://fujitamasayuki.net/wp-content/uploads/2017/01/masayuki2017.png” name=”まさゆき” type=”l”]女性はもりもりしているのが常識だった、ということになります。[/voice]

これらの絵画で見るだけでも、少なくとも1500年代から1800年代はじめまでの300年間、女性はもりもりしているのが常識でした。

ここで改めてマネの絵を見てみます。

当時の常識からすると、マネの絵の女性はもりもり感が足りません。そのことに関して、批評家たちに否定・拒絶されました。

「あなたの絵は女性がもりもりしていません」

(3)造形表現的な問題:立体感がなく、平面的である

わかりやすい立体的な例でいうと、

ベルナルディーノ・ルイーニ「ヴィーナス」1530年

ルイーニのヴィーナスは立体的なのがわかります。

もう一度オランピアを見てみます。

奥行きの捉え方がまったく異なっています。もっとずっと平面的です。

陰影による肉附法はルネサンス以来の伝統的や描き方でした。

しかし、マネの絵にはほとんど見られません。色調の微妙な変化によって肉体の丸みが捉えられています。このことがもりもり感にも関係しています。

当時の伝統的な官学派は、

  1. 人間の体は一定の色調を持っている
  2. それに陰影を加えることで立体的になる

と考えていましたので、「色調の微妙な変化だけ」に留まっているマネの体の描き方は許し難いものでした。

「あなたの絵は陰影の付け方による奥行きあるもりもり感がまったくなっていません」

他にも、マネの作品は、それまでの伝統を結果的に否定することになっていた箇所がたくさんあります。

肉附法に限らず、画面構成においても、マネの作品は、しばしば伝統的な規範をはずれている。

オランピア 1865年

<オリンピア>の背景は閉ざされていて、その奥の空間を感じさせないし、

笛吹きの少年 1866年

<笛吹きの少年>は、無知の背景の中に立っていて、床とか、壁などの空間を暗示するものは何もない。

フォリー・ベルジェールの酒場 1881ー1882年

最晩年の<フォリー・ベルジェールの酒場>にいたっては、給仕女の立っている空間と背後の鏡の中に映し出された空間とを統一的に結びつけることは困難である。

そのために、マネは遠近法も肉附法も知らないと言われたが、しかしマネにしてみれば、絵画とは、現実世界をそれらしく表現するよりも、後にモーリス・ドニが定義したように、

モーリス・ドニ 1870ー1943 オディロン・ルドンによる肖像画

「色彩で覆われた平坦な面」であることを本能的に感じ取っていたに過ぎなかった。

そして事実マネは、現実世界の鋭い観察者でありながら、自分の眼の前のその現実を「色彩で覆われた平坦な面」に移し変えることによって、現実とは別の自律的な造形世界を創り上げることに成功した。

われわれが今日マネのマネの作品に惹かれるのは、それが第二帝政や第三共和制時代の風俗を伝えてくれるからではなくて、色彩と形態による詩の世界が歌い上げられているからである。

絵画の持つ本質的な魅力をそれほどまでに追求したマネが、そのために結果としてルネサンス以来の伝統的な表現技法を打ち壊してしまったとしたら、彼はやはり偉大な「革命家」であったと言わなければならないだろう。

高階秀爾「近代絵画史(上)」より引用。

まとめ:画家エドゥアール・マネに学ぶ!あなたも革命家になれる6つの方法〜これまでの時代を終わらせ、新しい時代の幕を開ける!〜

画家エドゥアール・マネから革命家になれる6つの方法を学びました。

  1. それまでの時代の技法・作風を真摯に研究し、自分の血肉にする
  2. マイペースで構わない
  3. 信念やスタンスを貫く
  4. 周りがやっていることを観察し、取り入れられるところは柔軟に取り入れていく
  5. 冒険心や好奇心を持ち続ける
  6. バランス感覚を磨く

真摯さ、直向きさがあれば、自然と培われる態度になります。

さらに詳しく知りたい方のために:画家エドゥアール・マネとは?〜人物像と絵画作品〜