生命を生々しく、近くに感じて生きたい2つの理由

こんにちは、おうち・自宅で痩せる藤田式ダイエットヨガの藤田です。

今日は、2019年2月9日、お気に入りのカフェで感じたことを書いてみようと思います。

今後は、普段から考えていることを今までよりもさらけ出していこうと考えています。

ぼくが尊敬している税理士谷口さんのブログに影響を受けました。

参考 士業の発信は「かっこつけるな」 ポロリしちゃうぐらいに人柄と局部をさらけだせ 士業のブログ・SNS活用心得100メガ

「生命を生々しく、近くに感じて生きたい」とは?

View this post on Instagram

またきてしまいました、カフェテーロ。笑 ケツァールがほんとうまいです。 ナショナル・ジオグラフィックという雑誌のバックナンバーがたくさんあり、読ませていただいています。 「生と死」というテーマが気になり、すぐに惹きつけられました。 インドネシアでは亡くなった遺体と過ごす習慣があるそうです。遺体を椅子に座らせて共に過ごす。ベッドに寝かせてお世話をする。ミイラにして一緒に写真を撮ったりします。 興味深いです。遺体と過ごすとどのような気持ちになるんだろう。過ごしてみたいなと思いました。 #yoga #ヨガ好きな人と繋がりたい #diet #ダイエット #ダイエットヨガ #減量 #27kg痩せた #禅的ヨガ #ヨガから禅へ #禅からヨガへ #坐る #カフェテーロ葉山

A post shared by 藤田 雅之 (@fujitamasayuki) on

ナショナル・ジオグラフィックという雑誌を読みました。カフェにバックナンバーがたくさんあり、状態良く保存されています。

あなたはナショナル・ジオグラフィックという雑誌をご存知でしたでしょうか?有名な雑誌だそうです。ぼくは初めて知りました。

様々な多岐にわたるテーマで編集されていて、興味深いテーマばかりでした。

惹かれて手に取ったのは、「生と死」というテーマで書かれている号でした。

内容はインスタグラムの投稿に書かれている通りなのですが、遺体と共に過ごすというインドネシアの風習が書かれていました。

その中で、水牛(確か。うろ覚えですが)を子供たちが愛情をかけて育てて、人が亡くなった時に自ら生贄として殺す、という風習があるそうです。

それだけを読むとちょっと残酷な気がしますし、おかしな風習は改めた方が良いとも思うのですが、「それを行うことで安心する」「やらないと不安になる」ことって人ならありますよね。

伝統的なしきたりというのは、そういうのと結びついているのかなあと思いました。さらに死生観が結びついているのなら、なおさら。

ここでぼくの印象に強く残ったのは、「愛情をかけて育て、自分の手で殺す」というプロセスです。

なんとタイムリーというか、最近はそんなことばかり考えているのです。

2019年4月から本格的に徳島県に移住して新しい生活がスタートしますが、できれば、そのような、できるだけ原始的とも言える生活を送りたいと考えています。

  • 自分で野菜を愛情を持って育てて、自分の手で刈り、食べて、自分の血肉とする。
  • 自分で動物を愛情を持って育てて(もしくは狩猟して)、自分の手で殺し、肉にして食べて、自分の血肉とする。

そのように、生命を生々しく、近くに感じて生きていきたいと考えています。

生命を生々しく近くに感じて生きたい2つの理由

生命を生々しく、近くに感じる生活をしたい理由は2つあります。

  1. 「身体づくり」のために
  2. 芸術、創作活動のために

この2つですね。

「身体づくり」のために

思考や発想は、「身体」という土台の上に起こります。

土台がどのように作られているかによって、思考や発想も変わってきます。

なので、思考や発想を変えたければ、身体をどのように作るのか、身体がどのような状態なのか、が大事なんです。

つまり、これが「身体づくり」です。

実験的に、生命を身近に感じる生活をしたら、どのような思考や発想になるのか、試してみたいんです。興味があります。

今までの経験から得た考え方では、身体には常に細胞による微細な反応(感じ)が起こっていて、その「感じ」を脳が様々な印象に結びつけて限定し、解釈し、感情や思考という形で現れてきます。

「感情」と「思考」の集合体が「私」です。「私」というのは二次や三次の創造物であり、流動的であり、雲のようなものだと考えています。「私」というのは、「確固たるもの」や「点」ではありません。

ここからはすこし余談なのですが、ぼく自身も含めて、現代人の多くは「私」というものに悩まされ過ぎていると思います。

  • 雲を掴んで「今のままとどまれ」と流れて行かないように努力する
  • 雲を消そうとする
  • 好みの雲、周囲からみて良い印象を持たれそうな雲を生み出そうとする
  • 雲をコップのようないろんな形(枠)に入れようとする
  • 「これが私です」「これがあなたです」という、いろんなコップ(枠)を売り買いしている

ぼく自身を観察していても、「悩んでいる」時にはいつもそうしていますね。笑

雲はとどめておけるものでも、形の中に入れておけるものでもないですから。当然のように、いつか破綻してしまうわけです。。。

本題に戻ります。

「身体づくり」をする上では、微細な反応を作り出す基から考えていくのも大事ですし、微細な反応を印象として処理する脳が健全に機能していることも大事です。

その微細な反応は、おおよそ、7つのものから影響を受けています。

  1. 食べ物
  2. 飲み物
  3. 着るもの
  4. 身体の姿勢
  5. ヨガや坐禅、脳科学的体操などの運動
  6. 住まいなどの環境
  7. 関わる方々

などによって、作られていきます。

その中の「食べ物」を、誰かに委ねるのではなく、自分で愛情を持って作った時に、

  • 身体がどのような反応を示すのか?
  • 脳が「感じ」をどのように限定し、解釈するのか?
  • 藤田という「私」は、どのような藤田として物事を考えるようになるのか?

ということに、一番、興味があります。

徳島へ移住するのも、身体が反応をつくる上での環境を、できるだけ自然なものにしたいと考えた結果です。

2018年11月、「コンクリートに囲まれた生活はもう無理だ」と身体の底から悲鳴が聞こえるような経験をしたのも、関係しています。

芸術、創作活動のために

行き着く先は、その思考や発想というのは、芸術や創作活動に直結すると考えています。

その思考や発想で、どのような作品が作られるのか、とても興味があります。

作品を見た人に生命を感じさせるものになればいいなと思います。

芸術というのは、「滴るもの」だと思っています。コーヒーのように、ぽたっぽたっとドリップされて、抽出されたものですね。

ヨガや坐禅も、農業も狩猟も、すべては藤田という身体のフィルターを通して、滴る芸術作品、創作物のためにあるなあと。結果的に。

そんなことを改めて思った、カフェタイムでした。

まとめ

今回の記事を簡単にまとめてみると、

  1. 最近の専らのやりたいことは、「愛情をかけて育てて、自分の手で殺し、生命をいただく」というプロセス
  2. それは、「生命を生々しく、近くに感じて生きる」こと

そのように生きたいと感じています。

生命を生々しく、近くに感じて生きたい2つの理由は、

  1. 身体づくりになるから
  2. 芸術や創作活動(音楽と絵画)の思考、発想に繋がるから

ということを挙げられます。

そんなことをカフェで思った、という日記でした。

それでは今回はここまで。またねー!