人生の「バランス」を学んでいる途中。テーゼとアンチテーゼを踏まえて。

先日先輩から、「人生で、一生3つしか飲み物を飲めないとしたら、なにを選ぶ?」と質問されました。

他のものは二度と飲めない、というわけです。

お酒も含みます。

ぼくは

  1. ココア(主にドトール)
  2. ジンジャエールドライ

を選びました。

3番をポカリスエットと迷ったんですが、一生炭酸が飲めないとなると苦しくて、真剣に悩みました。

おそらく、最近で一番悩みましたw

あなたなら、なにを選びますか?

[voice icon=”https://fujitamasayuki.net/wp-content/uploads/2017/01/masayuki2017.png” name=”まさゆき” type=”l”]こんにちは、「絵画」「作曲」「歌」「詩」を主に研究している藤田です^^[/voice]

今回は、息抜きブログになります^^

アンチテーゼ。好きで大切なものに触れ続けている人生

[aside type=”normal”]「今」を重視。「結果」は横に置く。[/aside]

ぼくは、現在、「好きだな」「大切だな」と思えるものに触れ続けている人生を生きていこうと決めて、そのように生きています。

どんなことがあっても、それだけは大切にしていこうと決めています。

20代の生き方のアンチテーゼ

アンチテーゼ(ドイツ語: Antithese)とは、最初の命題の反対の命題で、直接的に対照をなすもの。正反対とも。反対の設定の中で、おのおのは表現の明確な対照によって、意味(定義、解釈、意味論など)の対照も引き出す。語源はギリシャ語の ἀντί(対する)+ θέσις(位置)。

絵画史や音楽史を見ていても、それまでの時代の流れに対してのアンチテーゼとして、次代が築かれることが多いです。

「感慨深いな」と思ったのは、ぼくが今「好きで大切なものに触れ続けていることを大切にしよう」と決めているのも、気づけば、「それまでの生き方のアンチテーゼである」という点です。

ぼくの中で、「時代の流れの中で起こりやすいこと」が繰り返されているということがわかると、「人が生きてきたのだな」「ぼくも人間なのだな」と感慨深くなります。

20代までのテーゼ。「復讐」と「大切なものから捨てる」人生

[aside type=”normal”]「結果」を重視。「今」を横に置く。[/aside]

アンチテーゼ(反対意見)は、なんらかの意見に対して反対しているわけなので、もともとの意見(テーゼ)が必要です。

ていりつ【定立】

〘哲〙 何事かを肯定的に主張すること。また、そうした判断・命題。カントの二律背反では定立と反定立との矛盾は解決不能とされるが、ヘーゲルの弁証法では定立を出発点として矛盾は止揚される。措定。正。テーゼ。
引用:定立とは

そこでどんなテーゼに対してのアンチテーゼかという話になります。

ぼくは20代の後半に入るくらいまでは、「復讐」と「大切なものから捨てる」人生を生きていました。

テーゼ1。大切なものから捨てると強くなれる

まず、なにかをしようと思ったら、一番大切なものから捨ててきました。

そうすれば、それ以上に痛みの伴うものはなく、ほかのどんなことにも耐えられるからです。

「大切なものから捨てると強くなれる」という思い込みをやめることによって、その生き方は終わりました。

シンプルに「大切なものを大切にしていて強くてもいい」と思えるようになりました。

そもそもどこかで「強さ」に固執している傾向があり、強さへの固執は、「弱い自分」に対するコンプレックスでした。

「弱い自分」に対するコンプレックスから、「力」を欲していました。

テーゼ2。親への復讐

それまでの人生が「親への復讐」であることに気づいたのは、目標の収入を得た時でした。

ぼくは17歳からお金持ちになりたくて、努力をしてきました。

お金は「力」でした。

それはシンプルに「強さ」でしたから、なんとしてもそれを掴みたくて、努力しました。

上には上がいるけれど、ある一定の収入を得た時に思ったこと。

  • 「金を親と、昔関わった人に叩きつけてやりたい」
  • 「どうだ、おれの方が上だ。おれの方が強い。おれの方が力がある」
  • 「お前たちの方がおれよりも劣等な存在であることをわからせてやりたい」

と思ったのです。

喜びよりも、虚しさと悲しみでいっぱいでした。

他人と比較し、他人に対して反応するところから決まっていたすべて。

自分が純粋に主体的に欲しくて、それを得たくて得たわけではなかったことに気づきました。

達成した時に虚しいのも納得しましたし、その時、「そういう生き方はやめよう」と思いました。

もっと「喜び」を大切にしようと思いました。

喜びを大切にする生き方は、「好きなこと、大切なことに触れ続ける」ということでした。

「力」と「強さ」を欲する傾向

「なにがなんでも」という風にお金に固執することはそれでなくなりましたが、それでもまだ、「力」と「強さ」に関連するものを欲する傾向は強かったです。

コンプレックスは根深く、「力」や「強さ」を欲するところに外的な要因がどのように結びついていくのか、ということをずっと見ていました。

幼少期や少年期になにか強い力で押さえつけられた経験がある人は、わかりやすいもの、わかりにくいものも含めて、「強さ」「力」を欲しやすいかもしれません。

釈迦に説法

釈迦に説法

【読み】しゃかにせっぽう
【意味】釈迦に説法とは、その道のことを知り尽くしている人に、それを教しえようとする愚かさのたとえ。

引用:古事ことわざ辞典

「自分があることに詳しくなった後、意図的にそれを話さないこと」を選択するようになると、釈迦に説法ということはよくあるのだなと思い、気をつけるようになりました。

ある事柄に深く知れば知るほど、それについてあえて語らず沈黙する人がいることを知りました。

面白いのは、そういう人の多くが、自分の意見を交えずに人の話を興味深く聞く姿勢でいることです。

ただ静かに落ち着いていて、深い笑みを浮かべて、見守ってくれています。

それは「寛容さ」でした。

ぼくもそのような大人になろうと思いました。

テーゼとアンチテーゼを踏まえて、「バランス」を学んでいる途中。

[aside type=”normal”]「今」も「結果」も大切にする。過去を否定せずに、肯定し、受容する。[/aside]

今の「好きなもの、大切なものに触れ続ける」生き方は、「今」に偏っている気がしています。

過去の「復讐と大切なものから捨てる」生き方は、「結果」に偏っていました。

そして、そのどちらもが「過去」を否定しています。

現在の課題は、過去を否定することなく、肯定し、受容し、「今」も「結果」も大切にする、ということです。

バランス感覚を問われます。

ぼくはこの「バランス感覚」というものが苦手です。

バランス感覚には、物事を俯瞰して、冷静に捉えていく力が必要だと考えているからです。

きっとあなたも、なにかを学んでいる途中ですよね。

ぼくも日々、人生を学びながら、歩んでいます。

まとめ

過去の生き方は、「結果」を重視し、「今」を横に置く生き方でした。

今の生き方は、「今」を重視し、「結果」を横に置く生き方です。

そして、どちらも「過去」に対して否定的です。

現在は、「結果」も「今」も大切にして、過去を肯定的に受けてとめていく、ということを学んでいます。

そんな内容の記事でした。

ここまで読んでいただいて、ありがとうございます^^