【内観】ふてくされた心を認めることで、今より自由になる

ブログを書くのがだいぶ久しぶりになってしまいました。また徐々に更新していこうと思います。

こんにちは、まさゆきです。

内観

内観のメリット

内観をすることの一番のメリットは、どのような「私」になっているのか、ということに気づけることです。どのような「私」になっているのかに気づくことができれば、その「私」の外に出ることが可能になります。その「私」の外に出ることが可能になれば、それまでの枠組みでは考えもしなかった生き方、在り方に気づくことができるようになります。

内観で、「誰にも話せない秘密」に気づく。

一般的に「これは話してはまずいだろ」ということがあります。犯罪など大きなものから、誰も別に気にしないのに本人だけが非常に気にしていて誰にも言っていないこと。

最終的には、そういうものを話せる場、話せる人を持つことで人生が劇的に変化しますが、その前に、「なにを秘密にしているのかに気付ける」ということは非常に大切です。

それは避けることのできないことなので、実際には本人はずっと気づいているし、ずっと知っているんですが、それをごまかそうとしたり、そこから逃げたりすることをやめることで、人生は劇的に自由に、開放的なものとなります。

「これを話したら、価値判断をされる」と思うと秘密を持ちたくなります。実際には価値判断されない可能性もあるのに本人はずっと罪悪感を抱えているのです。

想像してみてください。引き出しの中に食べ物がずっとしまわれて、腐って、腐敗臭が出てきて、その腐敗臭を嗅ぎながら生活していると頭がおかしくなってくるのは簡単に予想できますよね。それと似たようなことが人生の中で起きていることは多々あるのです。

ふてくされた心

ふてくされた心から人に対する悪意は始まる。

「どうせ、私にはできないから」「どうせ、私なんてこんなものだから」。

「どうせ私なんて」と自己卑下したり、諦めている態度を、「ふてくされている」と言います。ふてくされているところには、他人に対する悪意が始まりやすいです。ふてくされているのを認める代わりに、他人を非難したり、他人の足を引っ張ったりします。

自分の足を自分で引っ張ることも例外ではありません。

例えば、「私は信用に値しない人間だ」と思い込んでいる人がいたとします。これは「自分」に対しての勝手な思い込みに他ならないのですが、それを本人は疑いなく信じていたとします。すると、こうなることが予測されます。

「どうせ私なんて信用されない人間なのだから、”コイツは信用できない”と他人から思われることをやっても平気だろう」となります。そう思った人は、人を騙したりします。平気で嘘をつくようになります。

そして、「信用できない人」という周りの認識を強化することに成功し、「信用できない人」になります。彼は失敗することに成功しました。自分の足を引っ張っています。自己妨害です。

ふてくされている心を素直に認めるのは怖いです。

ふてくされているのを認めるのは怖いです。「恥ずかしい」ということを経験できずに、その経験を避けるために他人に悪意を向けます。それを認めるよりも他人に悪意を向けていた方が楽だと思い込んでいますが、実際のところは逆です。他人に悪意を向けている方が永続的に苦しみます。

ふてくされている「思い込み」があるだけ

思い出してみて欲しいのですが、悪意の根っこには、「どうせ私なんて」とか「私はこういう人間だ」という、ふてくされている「思い込み」があるだけです。

その思い込みは、認めて、打ち明けることで、自然と溶けていきます。

性善説に近いものがあるのかもしれませんが、誰もが、ふてくされた心に正直になって、それを認めて、打ち明けることができるのであれば、他人に対する悪意はなくなるのではないでしょうか。

ふてくされた心を内観で癒す時の注意点

ふてくされた心は、内観に長けている人から見れば一発でわかるのですが、それを指摘されると、ふてくされた心は、「攻撃された」と思ってしまうことが多いです。

「攻撃された」と思ったふてくれた心が取る行動は、攻撃をし返すことです。誰かに対して批判的になります。理論、考えを並べ立てて反論し、必死に自己防衛します。

つまり、「攻撃された!」と思ったところにふてくされた心の根、思い込みがあることが多いです。これを認識しているだけでも成果が違います。攻撃されたと思って条件反射的に攻撃をし返す手前でしっかりと立ち止まって、ふてくされた心の根を発見していくことが大切です。

これには忍耐強さが必要になることが多いです。認めるには、勇気が必要です。

まとめ

内観で、ふてくされた心を解放すると、自由になります。この解放感は素晴らしい解放感なので、ぜひ味わってみてほしいものです。