両足で歩くことの大切さ/仮面舞踏会を抜けて/光る地面を一歩ずつ

約25分の時間に、3つくらい小作品が詰まったアニメみたいなタイトルになりました。笑

両足で歩くことは大切だ、と思っています。

両足で歩くことの大切さ

「歩く」という行為は、片足を交互に前に出しますよね。

この片足ずつの性質が異なると思っているのです。右足か、左足か、といったことはあまり問題ではありません。

片方の足と、片方の足では、性質が異なると思っています。

坐禅を教えることを迷っている2つの理由

この記事で、世の中にあるものを大きく分けると3つある、と書きました。

  1. 「私」が楽になる
  2. 「私」から楽になる
  3. そもそも「私」なんていないから、楽だ

という、この3つです。

  1. 1番と2番は「私」というものが「ある」前提の在り方
  2. 3番は「私」というものが「ない」前提の在り方

どちらも大事です。

おそらくですけど、1番を体感として生きている人の方が多いのではないかと感じています。そのような場合は、2番がどのような在り方なのか、体感することも面白いと思います。

この2つの前提の在り方を、片足ずつ、交互に踏みしめて歩くのです。それが藤田にとっての「歩く」という定義です。

何事にもそうなんですけど、

  • どちらかしかできない
  • どちらかが素晴らしい

のではなく、

  • どちらもできて、どちらもやる
  • どちらもが起きて、どちらもに使われる

ということが好きです。

はじめは、矛盾したり、相反する要素を同時に持つことに引き裂かれそうになったりもします。片方が動けば、片方が動かないことも頻繁に起こります。

片方だけだと、くるくると回ってしまって、先に進まないのです。どちらかに一方に偏ってしまっても、くるくると回ってしまって、歩けないのです。

たまには、片方に偏って、くるくると回ってしまうのもアリなのだと思います。それがダンスになりますし。踊るのも楽しいです。

仮面舞踏会を抜けて

でも、あまりそれに夢中にならないで、独り静かに歩き続けることを、藤田は心から求めていて、そうしています。

たくさんの人たちが夢中で踊る仮面舞踏会の先に、どうしても気になる扉があります。扉を開けて歩き始めます。

光る地面を一歩ずつ

歩けるようになり、グッとその一歩を踏みしめることができると、地面がポッと光る感じがします。これがなかなかの集中力と、その道に対する誠実さを求められるのです。

歩けるようになっても、地面が光らないことの方が最初は圧倒的に多いです。

でも、やがて身体がわかるようになってきます。集中するのではなく、くつろぐことです。くつろぐことが最も集中している状態に近いです。

光らなければ本来の道からはズレていってしまうのですが、ズレたところからでも何度でも光るようにトライすれば、本来歩むべき道へと戻ってきます。

過去の一歩を回想するわけでもなく、未来の一歩を空想するわけでもなく、なによりも今日の一歩、今の一歩を大事に歩くことなのだと思います。