画家エドゥアール・マネとは?〜人物像と絵画作品〜

今日は、一日中エドゥアール・マネについてのブログを書いていました。尊敬する人、好きな人のことを、どんなところを尊敬しているのか、どんなところが好きなのか、どんどん紹介していきたいです。書いていて面白いし、熱中してしまいます。

[voice icon=”https://fujitamasayuki.net/wp-content/uploads/2017/01/masayuki2017.png” name=”まさゆき” type=”l”]こんにちは、「絵画と作曲をつかった芸術作品をつくる」ことを研究している藤田です^^[/voice]

今回のブログでは、エドゥアール・マネについて知り得る情報をできる限り書いてみました。マネについてもっと知りたいという人におすすめです。

ぼくの観点が多く含まれている記事については、こちらをご覧ください。

目次:好きなところから読む

画家エドゥアール・マネってどんな人?

wikipediaより

画家エドゥアール・マネってこんな人!

  1. 伝統を重んじる保守的な人
  2. 研究熱心な人
  3. 他者のいいところはどんどん取り入れていく人

マネは、緑深い森林の奥よりもブールヴァールのカフェを好む典型的な都会っ児であった。それだけに、生活態度も、堅実な中産市民階級の伝統を頑固なまでに守り続け、けしてその枠から出ようとしなかった。

一八七四年、クールベ、マネの後をうけた若い印象派の画家たちが、はっきりとサロンに対する反旗を掲げてグループ展を結成した時、画風の上では彼らに強い共感をいだいていたはずのマネが、若い友人たちに大いに期待されながら、ついに一度もグループ展に参加しなかったのも、印象派のあまりにも「急進的」なやり方についていけなかったからである。その点においても、「革命好き」のクールベとはこれまた正反対に、マネはほとんど臆病者と言ってもよいほどの「革命嫌い」であった。

生活においてはそれほどまでに徹底した保守主義者であったマネが、絵画の歴史の上で、クールベよりはるかに尖鋭な「革命家」の役割を演ずることになったのは、皮肉といえばまことに皮肉な話であったと言えるだろう。だが、それは、同時に、マネが背負いこんだ多くのパラドックスのひとつでもあったと言えるのである。

(中略)画家マネは、(中略)多くの点で矛盾に満ちた存在であった。彼はクールベとともに、画家は「自己の時代に生きて、自分の眼で見たものを描かなければいけない」と信ずるレアリストであり、登場したばかりの汽車のダイナミックな動きや、第二帝政時代のパリの華やかさに惹かれる近代主義者でもあったが、

絵画修行においては、自ら進んで伝統的なものを求め、誰にも負けないアカデミックな訓練を重ねた。(中略)構図においても、様式においても、マネほど歴史から多くを学び、多くを借りた画家は他にあまり例を見ないと言ってよい。(中略)

彼の作品には、ルネサンスから印象派にいたるまでの、当時知られていたほとんどあらゆる種類の様式の痕跡が認められる。(中略)他人から実に多くのものを借りていながら、マネの画面には、なにげない筆の動きの端にいたるまで、紛れもないひとつの芸術的個性が息づいている。あらゆるものを吸収しながら、すべてを自己の様式に染め上げてしまうところに、彼の特異な天才があった。

そしてその結果生まれてきたものは、西欧の絵画の歴史において、ひとつの時代の幕を下ろし、新しい時代を開くほどに革新的なものだったのである。

[voice icon=”https://fujitamasayuki.net/wp-content/uploads/2017/01/masayuki2017.png” name=”まさゆき” type=”l”]パラドックスという言葉が好きです。ぼくも芸術に関わる上では多くのパラドックスを感じているからです。[/voice]

画家エドゥアール・マネの生涯

エドゥアール・マネと彼の絵画を知りたい方のために、年表順にご紹介します。

wikipediaより

1832年:生まれる。

お父さんは、第二帝政の法務省高官。お母さんは、外交官の娘。裕福な家庭で育ちました。

時代は第二帝政、有名なナポレオンの時代です。

1850年:画塾に入る。6年間。18歳から24歳まで。

画家トマ・クテュールというサロンの第一線で活躍していた人の画塾です。人気者のサロンなので塾費も高かったかもしれませんが、両親がお金持ちなのでマネは問題なさそうですね。

[voice icon=”https://fujitamasayuki.net/wp-content/uploads/2017/01/masayuki2017.png” name=”まさゆき” type=”l”]生涯を通して、マネにはマネーの問題はなかったかもしれません。[/voice]

ここで、ルーヴル美術館にあるたくさんの古典的絵画に触れて、それを現代化する表現や技術を習得します。

1863年:絵画「草上の昼食」の発表(31歳)

マネの問題作一作目。教科書にも出てきます。

<草上の昼食>は、前回の「優秀賞」の実績にもかかわらず、落選させられた。しかしこの時のサロンは審査がとくに厳しかったというので、落選した画家たちのあいだから、強い不満の声が起こった。たまたまこの不満が、皇帝ナポレオン三世の耳にはいり、それなら公平を期すために、落選した作品を一堂に集めて展覧して見せよということになった。ナポレオン三世の気まぐれとも見えるこの思いつきが、一躍マネの名をパリに中に知らせることになったのである。

近代絵画史(上)より

1865年:絵画「オランピア」の発表(33歳)

マネの問題作二作目。

問題作によって注目され、様々な画家、詩人との交流

シャルル・グレールの画塾の画家との交流

シャルル・グレールの画塾には、クロード・モネ、ドガ、ルノワール、シスレー、バジールなどがいました。

アカデミー・シュイスの画家との交流

アカデミー・シュイスには、ピサロ、セザンヌ、ギヨマンなどがいました。

その他との交流

サロン画家アンリ・ファンタン=ラトゥール、文学者エミール・ゾラ、詩人シャルル・ボードレール、女流画家ベルト・モリゾ、ステファヌ・マラルメなどがいました。

唯一の弟子

女性画家エヴァ・ゴンザレスは、マネの唯一の弟子です。

その他にも数々の作品を残す

自らが影響を与えた印象派の画家に逆に影響を受けながら数々の作品を残しました。(ブログ内に詳細があります)

1883年4月30日:死去(51歳)

1880年代に入り、足が壊死しました。1883年に切断しますが、同年になくなりました。

エドゥアール・マネが影響を受けた画家

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「ディアナとカリスト」1556-1559年

ティントレット「悔悛するマグダラのマリア」1598-1602年

ルーブル美術館に展示されている画家からは、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ、ティントレットという画家に影響を受けました。

ディエゴ・ベラスケス「小びととバルタサール・カルロス」1632年

ホセ・デ・リベーラ「バッカスの頭部」1635年

フランシスコ・デ・ゴヤ「オスーナ公爵夫妻とその子供たち」1787-1788年

別の国の美術館へも訪れて、様々な画家から吸収しようと試みましたが、なかでも特にスペインの画家、ディエゴ・ベラスケス、ホセ・デ・リベーラ、フランシスコ・デ・ゴヤは、マネに決定的な影響を与えました。

今なおこうして見れる絵画をマネも見ていて模写したり参考にしてかと思うと、感慨深いです。

画家エドゥアール・マネの魅力 〜謎〜

謎が多い

草上の昼食に描かれた蛙、オランピアに描かれた猫が意図する意味は未だ解明されていません。

謎が「画家エドゥアール・マネ」という物語(ドラマ)に人を惹きつける

面白い物語には必ず「謎」が存在します。

小説などの物語を書くときにも謎を設けることは定番です。謎を設けることはミステリーだけに当てはまるものではありません。謎は読者に「これは一体どういうことなのだろう?」という疑問を抱かせて、その疑問が時間の経過、物語の終焉に至る過程で解消されていきます。

万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチの作品にも映画化されるくらい多くの謎が存在します。

画家でありプロフェッショナルなヴァイオリニストでもあったパウル・クレー、同じく画家であり音楽にも魅了されたピエト・モンドリアン、黒く塗りつぶされた四角の下に数々の隠し絵が存在する絵を描いたカジミール・マレーヴィチ、歴史に名を残す画家の絵には謎が多いのです。

ぼくたちは、マネの絵画の数々から彼が断片的に作品に残した計り知れない意図を感じ取ることで、「画家エドゥアール・マネ」という物語を聴かされているのです。

絵画の面白いところは、本人はもうなくなっていますので、「本人の意図するところはずっとわからないまま、憶測の域を出ない」というところにもあります。

画家エドゥアール・マネの絵画

  • タイトル 油彩か水彩か 製作された年
  • 絵画
  • 収蔵されている美術館
  • コメント(ある場合のみ)

の順で、ご紹介していきます。

アプサントを飲む男 油彩 1858−1859年

ニイ・カールスベルグ・グリプトテク美術館

  • 自然主義的な描写により、それまでお世話になっていたトマ・クテュールと決別しました。
  • 飲み物「アプサント」は1900代に入ってから禁止されます。緑色のお酒でしたが、アルコール中毒者がひどく、毒物認定されました。
  • ほとんどの批評家に否定されましたが、ドラクロワは擁護してくれました。

船のデッキ 油彩 1860年

ヴィクトリア国立美術館

マネが画家になるまでには

  • 海兵隊への不合格
  • 再試験を待つ間に南アメリカへの半年間の航海
  • そして、再試験不合格

という出来事がありました。

スペインの歌手 1860年

メトロポリタン美術館

  • マネに決定的な影響を与えたのは、17世紀のスペイン絵画だと言われています。真摯なリアリズムがマネには衝撃的でした。

驚くニンフ 油彩 1861年

ブエノスアイレス国立美術館

剣を持った少年 油彩 1861年

メトロポリタン美術館

街の女歌手 油彩 1862年

ボストン美術館

スペインバレエ 油彩 1862年

フィリップス・コレクション

老人の音楽家 油彩 1862年

ナショナル・ギャラリー(ワシントン)

  • アプサントを飲む男のモチーフも出てきます。
  • フランス古典主義の画家ル・ナン三兄弟の作品からの影響が指摘されています。

ヴィクトリーヌ・ムーラン 油彩 1862年

ボストン美術館

扇子を持った女性 油彩 1862年

ブタペスト国立西洋美術館

テュイルリー公園の音楽会 油彩 1862年

ナショナル・ギャラリー(ロンドン)

  • 左端にはマネ本人の半身が傍観的観察者のように描かれています。
  • その隣にはマネの友人で画家、ステッキを手にするバルロワ卿アルヴェール。
  • さらに隣には評論家ザカリー・アストリュクが椅子に腰掛けています。
  • 前景の二人の青帽子の女性は、軍事司令官の妻ルジョーヌ夫人と作曲家オッフェンバックの妻ジャック・オッフェンバック夫人。
  • その背後にはアンリ・ファンタン=ラトゥールやボードレールを始めとした写実主義者の一行。
  • 画面中央やや右寄にマネの弟ウジェーヌ。
  • その隣には眼鏡をかけた口髭の作曲家オッフェンバック。
  • 帽子を上げ挨拶する画家シャルル・モンギノ。
  • 画家マネの重要な転換期の一つとされています。

闘牛士の扮装をしたヴィクトリーヌ嬢 油彩 1862年

メトロポリタン美術館

釣り 油彩 1862年ー1863年

メトロポリタン美術館

ローラ・ド・ヴァンス 油彩 1862年

オルセー美術館

草上の昼食 油彩 1863年

オルセー美術館

オランピア 油彩 1863年ー1865年

オルセー美術館

若い男の魔女のコスチューム 1863年

メトロポリタン美術館

キアサージ号とアラバマ号の海戦 1864年

フィラデルフィア美術館

果物籠 1864年

ボストン美術館

天使と死んだキリスト 1864年

メトロポリタン美術館

ブローニュでの戦艦キアセージ号 1864年

メトロポリタン美術館

闘牛士の死 1864年

ナショナル・ギャラリー (ワシントン)

ロンシャン競馬場 1864年

シカゴ美術館

兵士に侮辱されるキリスト 1865年

シカゴ美術館

若い貴婦人 1866年

メトロポリタン美術館

マタドール  1866 – 1867年

メトロポリタン美術館

キング・チャールズ・スパニエル 1866年

ナショナル・ギャラリー (ワシントン)

メロンと桃のある静物 1866年

ナショナル・ギャラリー (ワシントン)

悲劇俳優 1866年

ナショナル・ギャラリー (ワシントン)

笛吹きの少年 1866年

オルセー美術館

バルコニーにて 1868-1869年

オルセー美術館

ブローニュ=シュル=メールの桟橋 1868年

ゴッホ美術館

エミール・ゾラの肖像  1868年

オルセー美術館

アトリエでの昼食 1868年

ノイエ・ピナコテーク

シャボン玉を吹く少年 1869年

カルースト・グルベンキアン美術館

ブリオッシュ 1870年

メトロポリタン美術館

エヴァ・ゴンザレス 1870年

ナショナル・ギャラリー (ロンドン)

休息 (ベルト・モリゾの肖像)  1870年

ロードアイランドスクールオブデザイン

すみれのブーケをつけたベルト・モリゾの肖像 1872年

オルセー美術館

鉄道 1873年

ナショナル・ギャラリー (ワシントン)

浜辺にて 1873年

オルセー美術館

オペラ座の仮装舞踏会 1873年

ブリヂストン美術館

扇子を持った女性 1873年

オルセー美術館

海での労働者 1873年

ヒューストン美術館

ル・ボン・ボック 1873年

フィラデルフィア美術館

ジョージ・ムーア 1873-1879年

メトロポリタン美術館

オペラ座の仮装舞踏会 1873年

ナショナル・ギャラリー (ワシントン)

タールを塗られるボート 1873年

バーンズ・コレクション

船遊び 1874年

メトロポリタン美術館

アルジャントゥイユの庭のモネ一家 1874年

メトロポリタン美術館

舟の中のアトリエで制作中のモネ 1874年

ノイエ・ピナコテーク

競馬場 1875年

ナショナル・ギャラリー (ワシントン)

洗濯 1875年

バーンズ・コレクション

ステファヌ・マラルメの肖像 1876年

オルセー美術館

パリジェンヌ 1876年

スウェーデン国立美術館

ナナ 1877年

ハンブルク美術館

プラム酒 1877年

ナショナル・ギャラリー (ワシントン)

自画像 1878-1879年

ブリヂストン美術館

モスニエール通り 1878年

J・ポール・ゲティ美術館

少女の肖像画 1878年

ネルソン・アトキンス美術館

温室にて 1879年

旧国立美術館 (ベルリン)

ビアホール 1879年

ウォルターズ美術館

貴婦人 1879-1881年

ノイエ・マイスター絵画館

ブラン氏の肖像 1879年

国立西洋美術館

ビヤホールの給仕女 1879年

ナショナル・ギャラリー (ロンドン)

庭にいるジョージ・ムーア 1879年

ナショナル・ギャラリー (ワシントン)

ラテュイルおやじの店で 1879年

トゥルネー美術館

パレットを持った自画像 1879年

プライベートコレクション

新聞を読む女性 1879年

シカゴ美術館

イルマ・ブルンナー 1880年

オルセー美術館

アントナン・プルースト 1880年

トレド美術館

マネ夫人 1880年

メトロポリタン美術館

自殺 1880年

ビュールレ・コレクション

フォリー=ベルジェール劇場のバー 1881-1882年

コートールド・ギャラリー

アンリ・ロシュフォールの逃亡 1881年

オルセー美術館

カフェ 1881年

ナショナル・ギャラリー (ワシントン)

帽子屋にて 1881年

カリフォルニア・レジオンドヌール美術館

リュエイユの家 1882年

旧国立美術館 (ベルリン)

白いライラック 1882年

旧国立美術館 (ベルリン)

乗馬服の女 1882年

ティッセン=ボルネミッサ美術館

苺 1882年

メトロポリタン美術館

ミッシェル・レヴィ夫人 1882年

ナショナル・ギャラリー (ワシントン)

ガラス花瓶の花 1882年

ナショナル・ギャラリー (ワシントン)

日本の美術館にある画家エドゥアール・マネの絵画一覧

[aside type=”normal”]引用欄内にあります画像は、指定美術館サイトから引用させていただいています。[/aside]

サラマンカの学生たち (ポーラ美術館) 1860年

剣を持った左向きの少年 1862年

腕白小僧・犬と少年 (茨城県近代美術館) 1868~74年

プルチネッラ(茨城県近代美術館)1874年

バラ色のくつ(ベルト・モリゾ) (ひろしま美術館) 1872年

オペラ座の仮面舞踏会 (ブリヂストン美術館) 1873年

美術館のサイトをみても案内がありませんでした。上記2作品のどちらか、もしくは両方が展示されています。

花の中の子ども (国立西洋美術館) 1876年

自画像 (ブリヂストン美術館) 1878~79年

肖像画を得意としたマネだったが、自画像は生涯2点しか描かなかったうちの1枚。ちなみにもう一枚は「パレットを持った自画像」(個人蔵、1879年)。

ブラン氏の肖像 (国立西洋美術館) 1879年

スペインの舞踏家 (村内美術館) 1879年

画像なし。

ベンチにて (ポーラ美術館) 1879年

散歩 (東京富士美術館) 1880年

黒い帽子のマルタン夫人 (メナード美術館) 1881年

杖を持つ男(ベラスケスによる)(メナード美術館)

画像なし

薄布のある帽子をかぶる女 (大原美術館) 1881年

画像なし

白菊の図(茨城県近代美術館)1881年

メリー・ローラン (ブリヂストン美術館) 1882年

画像なし

灰色の羽根帽子の夫人 (ひろしま美術館) 1882年

画家エドゥアール・マネの絵画の中でぼくが好きな作品3つ

白いライラック

花の青白さと奥行き、後ろの暗さのコントラスト、瓶と感じが好きです。

自殺

衝撃的で、実際に現場で描いたのかな?と気になるところが好きです。

ル・ボン・ボック

このおじさんのカフェが絵のタイトルになっていることも多いので、もしかしたらマネの理解者で協力的な人なのかも?と気になるので好きです。

画家エドゥアール・マネついて、こちらの記事もおすすめします。